本以外にお譲り頂くもの②

以前あるお客様から出張買取のご依頼を対面で受けたことがありました。


そのお客様は私が知人のお宅にいる際にたまたま居合わせた人で、その時に「実は不要な本がある」という話になりました。


聞くと家をリフォームするから色々な物を整理していると息子の本が入った段ボールが出てきた、息子に処分してもいいかどうかは聞いていないが俺の家だし息子もそんな本のことは忘れているだろう、というような話で、内容を聞くと面白そうな本もあるようなのでぜひ伺いたいと私も応えたのでした。


ですが話が終わって帰宅する最中に何か胸につかえてるものがあるのがわかります。一体その正体は何なのか。


この仕事を始めてからわかったことですが、お客様が本をお売りいただく際によくおっしゃることがあります。


それは「査定額はともかく、誰か欲しい他の人が使ってくれればといい」というようなことです。


最初は確かにそうだよな、自分も本を処分する時はそんなことを思うんだろうなと軽く思っていたのですが、それが段々と本気でそう感じるようになってきて、最近ではこの想いこそがもしかしたら本よりも重いんじゃないかと感じるようにもなってきたのでした。


本を運ぶときは結構な重労働ですが、それよりも重いものを運ぶような。本の重さをなにかマヒさせるような。


もしも本を売ることが完全に換金が目的となったのならば、本のリサイクルは成り立たなくなる可能性があります。


なぜならば仕事をしている人は彼らがしている仕事以上のお金を本を売ることで得ることは難しいケースもよくあるからです。


それは単純に本を売るのに使う時間を測って時給計算するだけでわかります。


もちろんそれは一概に言うことも難しく、例えば値下がりのしない専門書があるとか、処分する量が多いとか色々な条件で時給計算を上回ることはありますが、一般的に100冊未満のビジネス書を処分、数百冊の漫画を処分といった場合には雲行きが怪しくなります。


本の処分はなんだかんだで手間暇がかかります。


そんなこともあり、私が感じる限りでは人は金銭的メリットのみで本を売って頂いているようには思いません。


大事にとっておいた本だから、亡くなった父親が大事にしていた本だから、だから次の方に届けて欲しいという想い、そしてもちろん出来る限り高い査定額が付くこと、それらが複雑に絡み合って本を売っていただける理由になっているように思えます。


だから当店は出来る限りの査定額をお出しし、それはサービスの一環というよりも誠意の一環として次の方に届けるという意志表示をしている、買取とはそんな儀式の一種のようにも感じられます。


そして廃棄するという選択があるのも承知しています。売るのではなく廃棄することを選択されることもあり得ることです。


だから業者さんからの買取ではこう聞くのです。「それは持ち主が売ってほしい」と言ったのかどうか。廃棄ではなく売るという意志表示をしたのかどうかと。


話を元に戻すと、息子さんの本を売りたいという方からの依頼で感じた違和感の正体がわかりました。


もちろんご家族の方の本を本人以外が売ってはいけないというわけではありません。


きちんと意思表示されたかどうかが問題であって、今回の場合はされていないのです。


売りたいのか廃棄したいのかを。


私たちは本をお譲り頂いているように見えて実は別のものもお譲り頂いているのかもしれないと薄々と感じていたのですが、もはや確信しています。


そしてそれがなければ私たちの仕事など成り立たないだろうことも。言い換えると、それを大事にできないのならばこの仕事は成り立たないということです。


「誰か必要とする他の人が使ってくれればといい」という想いを。


家に着いてから先ほどご依頼頂いた方に、お断りの電話をさせて頂きました。


理由もできる限り説明したのですが私の説明が下手だったこともあり(説明はいつも下手で大変申し訳なく思います…)、びっくりされていました。


それもそうです。当店は本の買取を生業としており、買いたいと思っていた本を断ったのですから。


ですが本当にこれでよかったのかどうかを自問自答せずにはいられないケースであることも事実です。


では父親の意思はどうなのか、息子さんの意思のみが問題になるのかどうか。


色々と複雑な思いでしたが、これが買いたいと思っていた本のご依頼をお断りした初めてのことでした。

はなひ堂ブログ 2019年1月23日